Jul 31, 2010

あまり行ったことがない国内旅行

結婚後10年以上経ちますが、これまで海外旅行に何度か行ったのですが、国内旅行は一度しか行ったことがありません。私自身旅行は好きだけど、どうせ旅行を行こうとすれば、長い期間にある場合、まったく別の文化を味わってみたいという考えで、海外旅行が多かったが、子供もまだ小さく、国内のすべての場所で​​見回しと思いますので、今では国内旅行にも積極的にいこうと考えています。
最近の女子会という言葉をよく耳にします。女子会というのは女性と集まっておいしいものを食べて、話に花を咲かせていることです。大学の仲のいい友達とだけで女子会気持ちで卒業旅行をしてみてはいかがでしょうか。おいしいものを食べて、ショッピングを楽しんだり。夜はホテルでお酒を飲みながら、大学の思い出なんかを話しながら必ず素敵な卒業旅行になりますよ。
 【ソウル聯合ニュース】2018年冬季五輪の招致に成功したのを契機に、最大与党の民主党が南北問題を争点化しようとする動きを見せている。
 同党の孫鶴圭(ソン・ハクキュ)代表は同日の党最高委員会議で「平昌五輪が南北の交流拡大と統一の基盤となるべきだ」と話した。
 金振杓(キム・ジンピョ)院内代表は、統一・平和のための五輪にしようとするなら(北朝鮮にある)金剛山との連係で相乗効果も高いと述べた。
 鄭東泳(チョン・ドンヨン)最高委員は来年の大統領選挙で政権交代が実現すれば、五輪を南北で共同開催することを検討する意向を明らかにした。
 また千正培(チョン・ジョンベ)最高委員は、平昌での五輪を成功させるには南北の平和が必須条件だとし、食糧支援などを通じ南北関係を正常化することが必要だと述べた。
 ほかの最高委員からも、現政権が南北共同五輪を提案し、南北対話を正常化していくべきとの意見が出た。

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7回連続五輪本選行きを狙うサッカー韓国代表チームが、中東の3チームを相手に最終予選を戦う。

アジアサッカー連盟(AFC)は7日、マレーシア・クアラルンプールにあるAFC本部で会議を開き、2012年ロンドン五輪アジア地域3次予選の組み合わせ抽選式を行った。

洪明甫(ホン・ミョンボ)監督(42)が率いる韓国代表チームは、2008年の北京五輪の予・本選の成績を基準に、トップシード1番を与えられ、A組1番に名前を挙げた。抽選結果は、カタール、サウジアラビア、オマーンなど中東チームと同じ組に割り当てられた。

結果を見守っていた洪監督は「どのチームも気の抜けない相手」とし、「与えられた環境の中で、ベストを尽くせるよう準備したい」と述べた。

ロンドン五輪男子サッカーは、アジア地域に3.5枚のチケットがかかっている。アジア地域の3次予選は9月21日から来年3月14日まで、ホーム・アンド・アウエー方式でチーム当たり計6試合を行う。各組の1位は本選に直行できる。各組2位の3チームはプレーオフを通じて1チームに絞られたあと、アフリカのチームと本選進出権をかけて勝負を繰り広げる。

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水滴も数多く落ちれば最後には石に穴をうがつように(水滴穿石)、一歩一歩真心を積み上げた。しかし水滴は石にだけ落ちるのではなかった。

7日午前0時過ぎ、ジャック・ロゲ国際オリンピック委員会(IOC)委員長が「ピョンチャン」の名を読み上げると、涙をこぼした人がいた。三星(サムスン)電子の李健煕(イ・ゴンヒ)会長だった。平昌招致団が一斉に手を挙げ歓呼の声を上げながら太極旗を振っていた時、李会長は静かに涙を流すだけだった。発表行事が終わってから席を移動しても李会長は改めて涙を見せた。一緒にいた夫人の洪羅希(ホン・ラヒ)リウム美術館館長と長女の李富真(イ・ブジン)ホテル新羅(シンラ)社長、二女の李ソヒョン第一毛織・第一企画副社長と夫の金載烈(キム・ジェヨル)第一毛織社長も一緒に涙を流した。

李会長はめったに感情を顔に出さないことで知られる。涙を流すのはさらに異例だ。昨年2月5日に三星グループ創業者の李秉チョル会長生誕100周年記念式で追悼辞を読み上げる途中で父親への思いから感情がこみ上げ、めがねをはずして涙をぬぐったケースがあっただけだ。過去に平昌が2回にわたり招致に失敗したとき、李会長は特有の無表情を変えなかった。そんな李会長が涙を見せたことについて、三星のある役員は、「10年近く努力し、2回の失敗を経験した末に得た結果で感慨もひとしおだっただろう」と話す。

李会長が初めて平昌招致のために乗り出したのは2002年末だった。当時は2010年の冬季五輪開催地決定を控えていた。平昌は2003年7月にチェコのプラハで開かれたIOC総会でバンクーバーに苦杯をなめた。その後李会長は、「冬季五輪の平昌招致は所得3万ドル入りの決定的契機になるだろう」とし、平昌のために走り続けた。2005年のIOC総会では運動中に足をくじいて歩けないほどだったが、車いすに乗って参加した。当時総会では冬季五輪開催地を決定するものではなかった、しかし李会長はIOC委員らと会い支持を集める機会を逃すわけにはいかないと判断して車いすでの出席を強行した。

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